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Sunday, 14 December 2008

不況の嵐の中を生きるブラジル人

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自動車産業で栄える浜松には、おおよそ3万3千人もの外国人が住み、そのうちの1万9千人がブラジル人。日本全国で最多のブラジル人が住んでいる。

多くの人が派遣会社を通じて工場へ派遣されて働いているため、岐阜、愛知など東海地域から群馬の方まであちこち行き来するが、やがてまた浜松に戻ってくる。ブラジル人コミュニティーが発達し、町のあちこちにポルトガル語の情報源がある浜松は、やはり彼らにとって日本で最も住みやすい都市になっていたようである。

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PALESTRA(パレストラ)、ブラジル人向けの講演会に行ってみた。「Os Brasileiros & A Sociedade Japonesa」。ブラジル人と日本社会、と題して武藏大学のアンジェロ イシ氏が講演してくれた。

もちろん講演は全てポルトガル語だったので、僕には講演の内容までは、ちょっと理解に苦しんだが、coldsweats02日本に住む日系ブラジル人の日本社会との関わりについて語られていたことは、なんとなく分かった。

印象に残ったのは、浜松のブラジル人でホームレスが増えている、という話。きっと不況で職を失った上に、社宅も追い出され、住むところを失ったのだろう。

ブラジルから日本に出稼ぎに来て、10年以上経つ人も多く、出稼ぎから定住へと、しだいに目的は変わってきた。彼らの今までの日本経済を支えてきた功績は大きい。

90年代に入ってから、日本経済はバブル崩壊の影響から長い不況の時代へと突入。そこから脱出すべく、企業がとった道は東南アジアや中国への生産拠点のシフトである。製造業の空洞化と呼ばれ、国内の生産ラインを支える労働力が失われつつあった。海外進出できるだけの資本を持たない中小企業のために採られた政府の苦肉の策が、外国人研修生の受け入れだった一方、大企業の下請け業者は南米系外国人労働者を積極的に雇用してきた。

夜勤、昼勤の3交代。日本人ならすぐに辞めてしまうのに、不平ひとつ言わずに健気こなしてくれるブラジル人。彼らの労働力に支えられたこともあって、2000年以降から日本経済は徐々に景気を取り戻し、いざなぎ景気を超える戦後最長の好景気となった。

しかし、金融危機で自動車が売れなくなると、生産ラインが停止、人員削減のため、派遣労働者達はバッサリとクビを切られてしまった。

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ブラジルに帰る旅費もなく、職を失った多くのブラジル人が路頭をさまよっているそうだ。049

派遣契約の打ち切りと同時に社宅も追い出され、住むところを失った人は、いったいどこに身を寄せているのやら。かわいそうなのは授業料を払えずに学校に行けなくなってしまった子供である。「なんで、もう学校に行けないの?」

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講演会の後で出てきたおつまみ。名前は存じあげないが、なかにツナやパン粉にタマゴを混ぜたようなものが、コロッケの具みたいに入っていておいしかった。2個だけとってハンカチにくるみ、うちでお留守番している妻へのおみやげに。これで今日は勘弁してね。

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コンデンスミルクとチョコレートで作ったようなお菓子だが、これが実は甘くておいしいんです。見た目もかわいい、ブラジルのおやつ。

不況の嵐で暗い話ばかりだが、とりあえず甘いおやつとおつまみを食べて、明日のことは明日考えようではないか。

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Comments

ポルトガル語の岩○先生も行ったそうですね。
久しぶりにコーディーさんの笑顔に会えたってうれしそうでしたよ。
あの日、僕は豊田市の保見という
ブラジル人の超集住地区の日本語教室を見学に行ってました。
PALESTRAとどっちにするか迷ったんですけどね…。

浜松の日本語教室は
国へ帰ってしまう人やら
他へ引っ越してしまう人がいて
生徒が減ったというのは実感としてあります。

日本語を覚えないと
真っ先に切り捨てられてしまうからとか、
日本語を覚えて職を得ようと
逆に日本語教室に通い始める人もいるようです。
でも、どう考えても
ここ最近になって日本語の勉強を始めたからと言って
すぐなんとかなるものではないです。

こんな日本での生活が本当にいいのかを
よく考えるいい機会なんじゃないかと思います。

ブラジル人学校はどこも持ちこたえられないでしょう。
日本の公立学校にも十分な受け皿はないでしょう。
そうかと言って、
ブラジルへ帰ってやっていけるのかも分かりません。
子供の問題は重いですね。

Posted by: kunitch | Sunday, 21 December 2008 at 01:23

kunitchさん

僕の代わりにこの話題のブログを書いて欲しいぐらいですね。さすが、多文化共生をテーマに仕事をしているだけあって、ブラジル人の今後の行く末について、よく存じていらっしゃる。

確かに、この不況でブラジル人の出国者数は激増しています。しかし、このような不況は今回が初めてではない。バブル崩壊した後の90年代にも厳しい不況を経験したが、職を失ったブラジル人同士、たいへんなところを助け合って乗り切った、と聞きます。職探しに関しては、ラジオフェニックス代表の座波カルロスさんが、「職を求めるブラジル人と、人手不足に悩む日本人経営者を結ぶ支援団体を立ち上げた」(朝日新聞2008年12月10日)そうです。

仕事全然ないし、もうブラジルに帰ろうかな、でも帰りたくない。日本にまだいたいけど、やっぱり帰りたい気もする。

そんなブラジル人の葛藤を歌にした人がいるそうですね。アンジェロ イシさんのPALESTRAで聞きました。

これから彼らがどういう選択をしていくのか、気になるところです。

Posted by: コーディー | Tuesday, 23 December 2008 at 11:41

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